2017年 - VECサロン
2017年
- INCHEM TOKYO 2017の日独化学技術フォーラムにてVECソリューション“Industry4.1J”を発表
VEC事務局長 村上 正志 - 「システムコントロールフェア2017」に出展いたします
VEC事務局 - 制御セキュリティ対策とシステム構築における要素技術 その2
VEC事務局長 / 株式会社ICS研究所 村上 正志 - 制御セキュリティ対策とシステム構築における要素技術 その1
VEC事務局長 / 株式会社ICS研究所 村上 正志 - 企業力となる人材育成とは
VEC事務局長 / 株式会社ICS研究所 村上 正志 - つるまいプロジェクト 実証実験開始
VEC事務局 - 工場、プラントなどの制御システムを標的にしたサイバー攻撃の産学共同研究“つるまいプロジェクト”実証実験を4月より開始
VEC事務局 - Industry IoT時代に対応したBCP/BCMをベースの制御システムセキュリティ対策
VEC事務局長 / 株式会社ICS研究所 村上 正志 - BCP/BCMを考慮したISA95でISA99を導入
VEC事務局長 村上 正志
企業力となる人材育成とは
独自の判断と企業ポリシー(作戦目的)の理解
1905年5月27日に日本海海戦で日本が勝った理由は何かを考えると秋山真之の功績が大きいことはNHKの「その時歴史が変った」の番組でも取り上げていたが、その秋山真之のT字戦法は容易にできた訳ではない。秋山真之が求めていたことは、今でも通用する組織の在り方と人材育成につながる要素が多くあるのではないか。そう思って、本書を起稿してみた。
1.米西戦争から学んだこと
1898年にアメリカとスペインの間に戦争が起きた。1898年7月3日に起きたサンチャゴ・デ・キューバ海戦でスペイン艦隊が湾外に脱出をはかった時に、アメリカ艦隊は対応が遅れてすぐに攻撃ができなかった。その時、アメリカ艦隊の中でいち早く攻撃態勢に入れたオレゴン艦が攻撃命令を待たずに湾から出ようとしたスペイン艦隊へ攻撃を行ったことでスペイン艦隊は湾から出ることができなかった。やがて追いついた残りの艦隊の参戦により、スペイン艦隊を全滅させることができた。戦時に置いて、オレゴン艦艦長がスペイン艦隊を湾から出してはならないという作戦を理解し対応したことが勝因となったと報告された。1897年にアメリカに渡っていた秋山真之はこの海戦の第三国観戦将校として間近に見て、その海戦の詳細について報告書をまとめている。
2.当時の日本海軍将校の常識
秋山真之は海軍士官学校で教官として近代戦術を初めて教えた時、士官将校のほとんどが近代戦術を知らなかったことに気づく。日本海軍では、当時、過去の作戦や戦略の知識を機密扱いとして一部の参謀や幕僚長しか見ることができなかった。その時、士官将校が作戦というものを知る機会もなく、能力的にも作戦の重要度を理解するレベルに無かったことを秋山真之は問題視している。
秋山真之の名言の中に「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理、諸原則はおのずから引き出されてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざという時に応用がきかない。」つまり、「あらゆる知見を学べ。そして、知見はあくまでも知見であって、実際に現場で起きる不測の事態に対処できるようになるには、自らが予め不測の事態の対処方法を考えて、これに対処できる能力を持つための訓練をしろ」ということである。
また、こうも言っている。「海軍とはこう、艦隊とはこう、作戦とはこう、という固定概念がついている。恐ろしいのは固定概念そのものではなく、固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスに座り込んでいることだ。」「人間の頭に上下などない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ。」これと同じ問題を抱えている日本企業は多いのではないだろうか。
秋山真之はどうあれば良いと言っているのかは、「明晰な目的樹立(理解)、狂いのない実施方法、そこまでは頭脳(戦略家)が考える。しかし、それを水火の中で実施するのは、頭脳(戦略家)ではない。性格(現場能力)である。平素、そういう性格(現場能力)をつくらねばならない。」で解かる。
3.T字戦法
秋山真之が体調を壊して入院中に読んだ本が「野島流海賊古法」と「村上舟戦要法」である。「野島流海賊古法」は、室町時代(南北朝時代)に伊予の豪傑村上義弘が周辺瀬戸内の諸海賊(白石、桧垣、三島など)を征服し従え、村上義弘自身はその水将軍となり戦闘における操船や船の陣形を組んで諸海賊を訓練しては戦って、戦っては陣形に工夫をこらし、まとめた戦術書である。「村上舟戦要法」は、村上武吉が水軍の兵法書としてまとめたものである。(村上武吉と言えば、1555年に毛利元就が陶晴賢を厳島の戦いで破るがその時に、毛利元就が「一日だけの味方で良い」と言う言葉に引かれて加勢するという逸話がある。)その兵法書の中に、すべての船が敵の一か所を攻撃することで敵を破る戦法があり、秋山真之はこれを近代戦術に応用することで日本艦隊は相手が強敵でも勝てると考えた。それがT字戦法である。
これをロシアの旅順艦隊と日本連合艦隊の黄海海戦で試すことになるが、T字戦法はこの時失敗している。ロシアの旅順艦隊は一隻の故障事故がきっかけで、船足が遅くなり、日本艦隊に追いつかれ、攻撃を受けてほとんどの艦を失う。その後、4回にわたってT字戦法は秋山真之の手で書き換えられている。作戦書を作っては訓練をし、問題点を見つけては作戦書の改良を重ねている。そして、1905年5月27日の日本海海戦を迎える。
4.日本海海戦
1905年5月27日未明、連合艦隊特務艦隊仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊を発見する。無線通信は暗号文で、「タタタタ」で「敵ノ第二艦隊見ユ」の意味となるものだった。これを受けて連合艦隊の出撃となる。連合艦隊が大本営に送った伝文が、「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」である。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は秋山真之が追加した文として有名である。その文面の意味を取り上げると長くなるので、この後の詳細は、ウィキペディアの「日本海海戦」で確認していただきたい。
ここで取り上げたいのは、東郷司令長官の右手の合図で敵前大回頭を行いT字戦法が始まった。集中砲火を浴びたバルチック艦隊の先頭の第1戦艦隊旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」と第2戦艦隊旗艦「オスリャービャ」が戦列から離脱した後、2番艦、戦艦「インペラートル・アレクサンドル3世」が先頭を引き継いだがこれも集中砲火を浴びて戦列を外した。後を引き継いだ戦艦「ボロジノ」艦長セレブレーンニコフ大佐は、第2戦隊の後方をすり抜けるため左へ回頭し北へ変針した。これを見た東郷は第一艦隊と第二艦隊に回頭を命令したが、第一艦隊が回頭したのを見た戦艦ボロジノはさらに回頭をして連合艦隊の第一艦隊とは逆に回頭した。それによって、T字戦法が失敗するかに思われたが、第二艦隊司令官上村彦之丞は、第一艦隊を追わずに、戦艦ボロジノの前に出て集中砲火を浴びせた。つまり、上村彦之丞は、秋山真之のT字戦法の作戦目的を理解し、敵の頭をたたくことを独断の判断で実施したのである。それによって、バルチック艦隊を壊滅することができた訳である。
日本海海戦の勝利は、日本の連合艦隊が日本海海戦を迎える前の徹底した訓練と、何度も書き換えたT字戦法もあるが、重要なことは、秋山真之が言っている「司令官以下作戦の目的を理解し不測の事態にも対処できる戦力を持つ。」というスキルの高さである。また、それを認めている信頼と組織力の高さである。
◎ウィキペディアで以下の検索をしてみると良い。
「日本海海戦」には、日本海海戦での各艦の行動の図が掲載されている。
「日本海海戦における連合艦隊幹部」
5.人材育成に必要な要素
いくつかの大手企業の人材教育担当責任者に、社内で構築した教育システムを見せてもらったことがあるが、会社の歴史や事業戦略についての解説スライドの後に理解度テストがあるものなど様々である。あるスライドの内容を読んで理解するのに20分はかかりそうなものを社員の幾人かは数秒でパスしている記録も見せてもらった。その社員は、読んでいないことは明白で、理解する気もない。スライドを捲ることで読んだ記録になると思って操作しているのであろう。
企業における人材育成は、従業員一人一人のスキル向上と企業が向かう方向が同じであることが企業力につながっていくものと考える。それは実際の仕事に活かされる要素が多く含まれており、本人も実践力を身につけることになる教材であることも重要な要素であると思われる。